2011年08月12日

8月16日花火大会◎宮津市について花火の起源

花火の原形に「蜂火(のろし)」。古くからおもに信号として世界の各地で用いられていたそうです。
秦の始皇帝が初めて中国全土を統一したとき、その始皇帝が北方の遊民族の侵入を防ぐために建設した万里の長城には、要所要所に「烽(のろし )台」が設けられていたそうです。
敵の侵入を後方の味方に知らせるためのもので、昼は煙ののろしを上げ、
夜は薪を燃やして火をたきました。

その薪に加えたのが、黒色火薬の主原料である硝石(硝酸カリウム)だったいわれています 。
花火にとって欠かすことのできないものです。
中国では、この硝石がたき火などに入ると、不思議な燃え方をすることが古くから知られていました
やがて中国では火薬の発明。古くから黒色火薬の主原料である硝石を使っていたわりには、火薬の発明までに長い時間がかかりました。
中国の火薬の発明は、錬金術ならびに、不老長寿の薬をつくろうとする煉丹術の副産物であり、古くは紀元前2世紀の淮南王劉安の『淮南子(えなんじ)』に「消、流、炭を使って泥を金に、鉛を銀にしたものがいた」といずれにしても火薬の発明によって、唐代には花火がつくられていたようです。
南宗の頃には本格的な花火が市場に出て、宮廷でもこれを楽しんだという。
中国で基礎を確立された火薬は、アラビア商人の手によって13世紀にイスラム諸国に伝わります。
火薬の伝来と前後して、ヨーロッパでも花火が行われるようになりました。
最初の花火はイタリアのフィレンツェで行われ、その後またたく間に全ヨーロッパに普及していったとされています。 しかし、この間の事情を正確に記した文献はなく、中国の場合同様に、ヨーロッパにおける花火の起源もはっきり
尾張、紀州、水戸の親藩、仙台、加賀藩などの雄藩の花火はとくに人気があり、江戸庶民もタ涼みをかね大名の花火を楽しみにしていたといわれています。

それが江戸の庶民の間で急速に流行するようになったのは、花火好きで知られる3代将軍家光が元和9年(1623)に花火を奨励した結果といわれており、珍しいもの好きの江戸っ子がこれに飛びつきました


つまり、必要性のあったものが楽しむものに形をかえた

まるで携帯電話みたいと思ってしまいました
posted by スタッフ at 12:42| 京都 ☀| 天橋立・丹後全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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